子どもを育てる社会づくりを私たちから! 

  日本は、もう、以前の日本ではなくなってしまいました。 映画のような日本列島を覆う巨大な台風、そしてその被害。  地球規模で自然が壊れています。 セクシーに考えて対策を考えているような場合ではなくなったという認識が必要です。 それでも、トランプさんや日本のバラエティー番組に出ている大学教授がいっているようにCO2による地球温暖化現象ではないと言うのでしょうか。 この現実に子供たちも気づいたこと本当に心救われ、大人たちに当たり前を気づかせたグレタさんの国連のメッセージに、私たちは、今立ち止まってみることが必要です。
これは、国連にCO2を出さないためにヨットで移動したグレタさんの発言の一部です。
「あなた方は、私たち若者に希望を見いだそうと集まっています。よく、そんなことが言えますね。あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました。
それでも、私は、とても幸運な1人です。人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。
なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よく、そんなことが言えますね。…中略…
 あなた方は私たちを裏切っています。しかし、若者たちはあなた方の裏切りに気付き始めています。未来の世代の目は、あなた方に向けられています。
もしあなた方が私たちを裏切ることを選ぶなら、私は言います。「あなたたちを絶対に許さない」と。
私たちは、この場で、この瞬間から、線を引きます。ここから逃れることは許しません。世界は目を覚ましており、変化はやってきています。あなた方が好むと好まざるとにかかわらず」
 さらに、毎日のように起こる信じられない事件。 先日報道された神戸の教師同士のいじめは、その省庁ではないでしょうか。あきれてものが言えないと思えた自分は、まだ、まともなのかもしれません。 校長の会見に驚いたのは、「ハラスメントの認識不足」。いやはや、そんな次元の問題ではないでしょう。 あれこれ、考える必要はなしです。教師失格、そく解雇すべきです。こういう教員を生み出した社会の問題だと捉えるべきです。

 興味深い調査結果(財団法人日本青少年研究所による)があります。「佐々木正美著からの引用)
「教師や親への反抗をしてはいけないことだ」と考える人は、アメリカ、中国で80%もいるのに対して、日本は、わずか20%です。 
 「あなたは自分の両親の元に生まれてよかったと思いますか。」非常によかったは、アメリカ70%、中国64%で、日本は、43%で調査の中で一番低い数字に。 
「自分自身に対する肯定感」は、外国では大多数なのに対して、日本は39%です。 
また、次の事柄に対して、「本人の自由だ」と答えた高校生の割合なのですが、「授業中メールをする」50%、「ずる休み」70%、「親への反抗」51%、「万引き」ではなんと12%の高校生が「本人の自由だ」と答えているのです。 
 さらに、「支えが必要となった自分の両親に対して、最善を尽くして援助しようとしますか」の問に、「どんなことをしてでも援助する」と答えた人は、アメリカでは66%、しかし日本では、わずか16%なのです。 (ちなみに日本は少子高齢化が続いてきますが、世界でペット保有している一位の国は、日本だそうです。 しかも、血統書付きの高価なペットです。 見えないところでは、年間30万匹の雑種の犬や猫が保健所で処置されているとも)
日本社会は、いつの間にかすっかり変わってしまったのです。日本の人間関係、信頼関係、そして、家庭でのそれも希薄になった証拠です。特に最近感じるのは、ことばの虚飾。 こうした変化はSNSなどの急速な発達により拍車がかかったとも考えられます。(日本の若者のスマホの使用率は世界一高い国です) その中で、個人主義が一足飛びで、利己主義の世の中になってしまったことです。 今は、個人にとどまらず、政治の世界でも言いたい放題、したい放題の世界です。そして、それを楽しむ世の中の風潮。  
 日本の家庭での人間関係の崩壊は、「振り込め詐欺」がその象徴です。 いくら希薄になったとは言え、自分の孫の声が話の中でわからないというところに問題があります。 わからないくらい、会話や交流がなくなってしまっているのです。 諸外国では見られない現象なのだと思います。

 今、家庭崩壊を守るために、日本社会の利己主義の蔓延を防ぐために、私たちが日常できることすなわち、昔の日本を少々の不便は我慢して取り戻すことが考えられないでしょうか。自分の子どものためだけに学校へ苦情を言わないことで、教師もすべきことに集中して取り組み、また、子供達の成長の上で、問題を感じたら家族に相談をすればどうでしょうか。問題に目をつぶっていれば、また、神戸のような大人を産み出すことになる可能性があります。
 今の政治は、グレタさんが言われるとおり、「お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり」です。 事業を行う上で、国からの助成金があります。これは、お金が回ると予想される、見込まれるものにしか助成対象にはなりません。 本当に必要とされるものでも、経済成長が伴わなければお金を出さない。
 経済政策の変化や家庭のあり方の変化から、日本の社会は少子化になりました。 言い換えれば、社会が子どもを育む器になれなくなったとも言えないでしょうか。 例えば、保育園の無償か、待機児童の対策が組み込まれていますが、これらは、子育て支援の援助ではなく、経済成長の支援です。保育園に手軽に預けられ、親の時間が確保されれば労働力につながり、経済効果や高齢者を支えることになる。 必要なことは、保育園では、子どもの預かり所から教育、育児の場になってきているわけですから、保育容をいかにレベルアップしていく方法であるはずなのに。 そのためには、研修費や、保育士の増員・労働時間の短縮や人件費のアップ、保育環境(遊具など)の充実などが必要なはずです。 フランスでは、育児休暇が充実していますが、その間に、親が保育園に通い、そこで、保育士の仕事を一緒にすることが義務化されているとろもあるそうです。 人の子どもも一緒に子育てすることにより、育児を学ぶのです。 育児を親の責任に押しつけず、それをサポートできるのは、家族や特に祖父母、さらには、地域の家族や社会です。 昔の日本がしていたように。今は、ソーシャルワーカーがそういう人のフォローをしているようですが、日本では進んでいるとは思えません。 子どもの虐待の母子すら把握できかねているのですから。 
 子育ては、まず、「人間の信頼関係から始まる」と言われています。もちろん、母と子です。これは、母体の中にいるときからそのような関係が生まれていることが検証されています。 
人間だけです。生まれてもすぐに立つこともおっぱいさえ飲むことができないのは。 親が自分を犠牲にして子どもの命を守り、育む活動だったのですが、それは、子孫を増やすということからすると本能的な行いなのでしょうが、今は、別の価値観(能力を優先し親の価値観で子育てをする)、そこに新しい子育てのあり方が、社会の中に組み込まれてきました。
貧しい時代でも、今以上に働いていた時代がありました。「子育て」ということばなど意識しないで、子どもに自分の背中を見せながら生活していました。子どもも、両親や兄弟を助けるために生きようとしたのではないでしょうか。 社会が子供達を育てるという目に見えない規範があったのだと思います。でも、今は、自分がしたように何でもしてしまっている。 子育てをスマホで子育てしてはダメです。ちょうど、動物園の動物が出産して育児を放棄するというように。
間違えれば治せばいい、子供達に心から寄り添い、わからないときは、誰かに相談すればいいはずです。
子育てに必要なのは、人と人とのふれあいです。 そこから生まれる信頼そうして子どもは育っていきます。母親から父親へ、祖父母の家族、そして、近隣の社会の人達との交わりを持って。 2~3歳の時、会う人会う人に立ち止まって「こんにちは」という子どもがいます。 これを見て、気分を害する人など一人もいません。 ところが、今は、危険に満ちた世の中。 知らない人には、声をかけないように。本当にこんな世の中でいいのでしょうか。××ハラスメントもよくわかりませんが、そんな言葉の定義より、意味の本質、ことばの心を知る教育がなくなっては、権利主義、利己主義に陥りやすくなります。 自分の権利を主張し、個人の身を守ることが優先される社会では、のびのび育った子供達が、更にすくすくと育ちうるとは思えません。 悪い行いをする人は、どの時代にもどこにもいます。 それを認めない社会の規範がある国では、子供達は、育つのではないでしょうか。 子供達も、何を考え、何を大切に生活していけばいいのかわからなくなることがたくさんありすぎます。 単に勉強やスポーツで、成績さえ残すことができれば、大学くらいまでは、問題ないかもしれません。 しかし、大学で人生は終わりではないのです。 一生を通じ、何を大切に生きていくのか、更に子どもを産み、今度は育てなければならないのです。 日本でも、お金はなくても子どもが育つ時代がありました。
 子供達には、多様な選択が必要です。 単に能力があり、利益を生み出すだけが価値があるわけではありません。 そういう社会の多様性のある社会観を私たちから創っていかないといけないのではないかと思います。 社会は、政治を待っていては変わらないのかもしれません。 私たち一人一人の思いが、社会を創っていくのだと思います。